日本史

ためちゃんの一発逆転!
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日本史は、
教科書や参考書を最初から何回か通読するだけでも、
校内試験や入学試験に必要な学力を獲得することができる。

だから、
取り立てて一発逆転の日本史勉強法などというものは必要ないともいえるが、
何回も何回も同じことをくり返すのは、
退屈で苦痛であるという人のために、
べつの視点からの日本史勉強法を解説してみましょう。

日本史も含めて、
人間の歴史は、
あくまでも人間自身が主役であり中心です。

歴史をつくってきたのは人間であり、
猿や犬や雉ではではありません。

桃太郎の鬼退治の世界ではないのです。

人間が自分たちでつくりあげてきた歴史なら、
その中心である主役の人間そのものに焦点をあて、
人物中心に日本史勉強を進めるのも興味が持てます。

勉強はすべて興味を持つことからはじまります。

人間は何か興味を持たないと行動を起こしません。

行動を起こさないということは、
興味を持たないことに関しては、
勉強をする気にもならないということです。

このことは非常に重要です。

勉強に向かうためには、
何か動機づけ、インセンティブが必要なのです。

その気にさせるものといってもいいでしょう。





どんな人にも、歴史上の好きな人物がいると思います。

そういった人物に興味を持って、
日本史の勉強をはじめる。

このような日本史勉強のやり方も、
いいのではないでしょうか。

こういった日本史勉強法で覚えた日本史は、
ほぼ忘れることはありません。

好きで覚えた事柄ですから。

ひとつの具体的な例として、
ある人物のことを調べてみましょう。

◎人物で覚える日本史勉強法

源義朝(みなもとのよしとも)のことは、
日本史の勉強をしたことのある人は、
ある程度は知っていると思います。

この源義朝について学ぶことで、
日本史のかなりの部分をカバーできます。

源義朝は源頼朝の父ですが、
保元の乱(1156年)および平治の乱(1160年)における、平清盛と並んでの中心人物です。

義朝は政治的手腕では清盛にかなわず、
平治の乱後に、
源氏の勢力が強い東国に落ちのびる途中で、
家来すじの長田父子の裏切りにあい、
命を落とします。

その後しばらくは源氏も低迷しますが、
息子の頼朝が成人するに及んで、
本領を発揮します。

この頼朝という人物は、
政治的手腕にきわめて長けた人間でした。

朝廷の与える官職などには、興味がなかったようです。

吾妻鏡によると、
権大納言や右近衛大将の職をすぐに辞任して、
鎌倉に帰還したそうです。

右近衛大将と聞いてもピンと来ないかも知れませんが、
近衛大将(このえのたいしょう)は武官の最高位であり、
当時は藤原摂関家の嫡流にほぼ独占されていた、
公家にとってはあこがれの官職でした。

朝廷でのエリートコースに乗ったにもかかわらず、
頼朝は朝廷での出世よりも、
最初の本格的武家政権である、
鎌倉幕府の安定の方を選んだわけです。





清和源氏の祖は、
六孫王と呼ばれた源経基(みなもとのつねもと)という人物です。

清和天皇の六番目の皇子である貞純親王の息子であったことから、
六孫王と呼ばれていたそうです。

清和源氏発展の礎をきずいたのが、
経基の嫡男である源満仲(みなもとのみつなか)です。

満仲が政治の表舞台に登場するのは、
969年に起こった安和の変(あんなのへん)です。

安和の変は、
藤原氏による一連の他氏排斥事件の一つであり、
これにより左大臣であった源高明(みなもとのたかあきら)が失脚したものです。

この事件は、満仲の密告が発端とされ、
満仲は恩賞として正五位下に昇進しました。

清和源氏が勢力を伸張できたのは、
満仲が藤原摂関家に取り入り、仕えたためです。

満仲は藤原兼家(ふじわらかねいえ)らを助けて、
若い花山天皇(かざんてんのう)を退位に追い込んでいます。

この事件の時、
兼家の兄である藤原道兼(ふじわらのみちかね)の警護をしたのが、
満仲の一族であったといわれています。

花山天皇と一緒に出家させられてしまうのをふせぐために、護衛の武士を同行させたのです。

摂関家に取り入ったと書きましたが、
どういう事をしたかというと、
警護はもちろんのこととして、
馬を贈ったり、
家の調度品なども取りそろえて寄贈したりもしています。

その見返りはは大きく、
満仲は順調に出世を重ねて鎮守府将軍(ちんじゅふしょうぐん)にまでなり、
ばく大な富を手にしました。

満仲が目をつけた東国への勢力伸張を引き継いだのが、
息子の源頼信(よりのぶ)、
孫の源頼義(よりよし)、
ひ孫の源義家(よしいえ)です。

頼信は、
1028年に起きた平忠常の乱(たいらのただつねのらん)を平定し(1031年)、
その後の源氏による東国支配の第一歩を記しました。

河内源氏の東国支配を、
さらに発展させたの頼義と義家です。

父である頼信とともに平忠常の乱を平定した頼義は、
陸奥への勢力拡大をはかり、
前九年の役(ぜんくねんのえき)(1051年〜1062年)で、
清原氏(きよはらし)の力を借りて安倍氏を討ちました。

源氏による東国支配の動きをさらに進めたのが、
八幡太郎(はちまんたろう)源義家です。

陸奥守(むつのかみ)となった義家は、
東北の覇者となっていた清原氏を討つべく、
清原氏の内紛に乗じて合戦を起こし、
これに勝利しました。
後三年の役(ごさんねんのえき)1083年〜1087年)

この後三年の役の勝利によって、
源氏は東国に基盤を築いたといえます。

朝廷はこの戦いを義家の私闘とみなし、
ほうびを出すことを拒否しました。

そのため、
義家は自分の私財から参戦した関東の武士たちにほうびを与えましたが、
このことがかえって武家の棟梁としての義家の名声を高める結果となりました。

この八幡太郎義家の息子が源為義(みなもとのためよし)です。

本当は義家の孫ですが、
養子となったため子となっています。

この為義こそ、源義朝の父であり頼朝の祖父です。

ちなみに、
保元の乱の際、この父子は敵味方にわかれたため、
乱の後に、義朝は父である為義の首を家来にはねさせています。

以上が、清和源氏のごく大ざっぱな歴史になります。

このようなかたちの日本史の勉強のやり方、
人物で覚える日本史勉強法も、
参考にしてみてはいかがでしょうか。

日本史に限らず、
他の科目でも学習の仕方はいろいろあります。

既成概念にとらわれずに、
他の人がやらないやり方というのも、
一考の余地はあると思います。

それが、最終的には、日本史一発逆転につながります。

なお、日本史勉強には、
用語集と年表・地図は必携です。


学習指導要領 完全対応 50人 重要人物で覚える日本の歴史  

日本史B用語集―A併記   


日本史年表・地図 (2014年版)


 


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